そもそも「嫌な人」とは何か。その人と考え方が合わない、その人について考えるのも嫌だ、不愉快だという感情が起これば、それは自分にとって「嫌な人」なのでしょう。自分のまわりに嫌な人がいるなら避けて通れば良いのですが、しかし学校や会社などにあって避けて通れないという場合、どうしても嫌な人と向き合わなければいけません。古い原始時代にあっては殴るか蹴るか、野生の力でもって衝突することになりますが、いまは原始時代ではなく、文化に華やぐ話し合いのできる時代です。
ところで「嫌」という字には(他に対する)不信の念を持つという意があります。つまり「嫌な人」とは(嫌という字からしてみても)自分にとってはっきりしない人であり、よくわからない人です。なぜそういうことをするのかつかみにくい人、あるいは自分の価値観にしたがって自分優位に嫌な人だと決めつけているだけかもしれません。
もし、誰であれその嫌な人を好きになることができるならば、あたかも栄養素たっぷりの嫌いな野菜を克服して得られるように、自分をより強くたくましくすることができるでしょう。そうして嫌な人がこの世から消えてなくなれば、自分の人生はなんと豊かになるでしょうか。
さて、自分とは考え方が合わない嫌な人とどのように付き合えば良いのか。そもそも付き合いの目的とは長期的に良好な関係を築くことで、相手を仲間にすることです。仲間になってもいいと思えるような人というのは、たいてい自分と同じような考え方をしている人です。だから、嫌な人との付き合い方とは、考え方を合わせること、嫌な人の発言や行動を観察し、模倣することに尽きます。考え方を合わせることは、考え方を変えるのとは違って、華やかな舞台の上で演技するようなことです。人生とはそういうものでしょうか。
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