意欲というのは意で欲していることであるので、今何もしないでいることも意で欲していること(意欲)だといえます。それだから「勉強の意欲を出す」というよりは、わかりやすい「勉強に意欲を向ける」といったほうがいいです。これは一見、どうでもいいように思えることかもしれませんが、全然そうではなく、これを知っているかどうかが勉強の意欲を大なり小なりと決めることになるのです。
ここでは便宜のため勉強の意欲を出すとしてあります。それで、いったいどうしたら燃えるような意欲でもって勉強をすることができるのか、その方法を詳しくみてみましょう。
勉強をする意味を考える
私たち人は、食事や会話のように感覚に直に訴える物事を除いては、意味を知らなければ物事を好きにはなりません。意味を知らなければ勉強は絶対につまらないことで、勉強の意欲を出せないでいるのは普通といえます。
勉強をする意味というのは、いろいろな人がいろいろに考えることですが、大勢が納得できる考えとしては「会話に花を添えること」でしょう。勉強をしないでいるなら、その会話に花はなく、味もなく、すぐに飽きられてしまいます。
勉強とは意味をわかるように努めること
嫌いな野菜を食べるのはなぜかを考えると、それは親に怒られたくない、あるいは賢くなりたい、あるいは健康でありたいからです。
カリフラワーに含まれるビタミンはこれこれの効果を私にもたらすという意味をわかれば、なるほどと納得できるので、たとえそれが嫌いな野菜であっても、おそるおそる箸をすすめることになります。そして事実、これこれの効果を私にもたらしてくれたら、今後は勇んで箸をすすめることになるでしょう。
これと同じで、勉強というのは意味をわかるように努めることです。数学や英語を勉強するのは、因数分解や活用変化を覚えるようなことではなく、じぶんが数学や英語をする意味をわかるように努めることで、それを勉強してじぶんがどのように社会に変化をもたらすのかを知ることです。
まとめ
私たち人は、食事や会話のように感覚に直に訴える物事を除いては、意味を知らなければ物事を好きにはなりません。だから勉強の意欲を出すためには、英語であれ数学であれ、それを勉強する意味を知らなければなりません。そして意味を知るということは、その勉強をしてじぶんがどのように社会に変化をもたらすのかを知ることです。
何でも勉強をしないでいるなら、その会話はつまらないものです。その会話を楽しいと思えるのは今のうちだけで、あれやこれや考えをめぐらすうちに、より華やかな会話をしたいと必ず思うようになります。
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