「人付き合いがめんどくさい」という人は幸せな人です。しかしすぐに不幸に陥るかもしれません。なぜなら何事にも「めんどくさい」という人は、まわりの人からの信頼を失ってゆき、すぐにでも人付き合いをしなくてよいところに行けるからです。
なるほど、たしかに人付き合いはめんどくさい、それが悪事を善といい、善事を悪という社交辞令であるようなら。
しかしそうでなければ、人付き合いにより得ることができるこの世の最高価値である信頼を、いっときの感情で失うことほど愚かなことはないでしょう!
※この記事は「人付き合いがめんどくさい」という見方を変えたい人にとっての読みものです。
人付き合いの目的とは?
私たち人は何をするにせよ目的をもっています。目的が明らかであるようなら目的に向かいるんるんと歩くことができますが、目的がぼやけているようならその辺をふらふら歩きまわることになります。だから「めんどくさい」と投げやりになる前に、そもそも人付き合いの目的を明らかにしましょう。
「人付き合いの目的」を明らかにするなら「難を逃れ生活を安定させること」です。あるいは単に「退屈を凌ぐこと」です。
たとえば社交辞令において、社交辞令という人付き合いをうまくこなすなら会社にすぐに首を切られるようなことはなく安定することができます。しかもチャンスを得ることもできます。あるいは、ママ友会議に参加するなら仲間外れにされることはなく自分と子どもの生活に安定をもたらすことができます。
こういう人付き合いを「めんどくさい」といって失礼するなら、人と関わらなくなりますから、とても楽で快適でのんびりと暮らすことができます。しかしその分、孤独という難に耐えなければなりません。
人付き合いの種類とは?
そもそも「人付き合いがめんどくさい」という人は、たくさんのコミュニティに所属している幸せな人といえます。というのは人付き合いの種類とは、自分が所属しているコミュニティの数だけあるものだからです。会社、ママ友連、町内会、友人グループa、友人グループb、などと。
もし、そのコミュニティが自分だけに関わるようならば、そのコミュニティをまかり出て「孤独の道」に行くべきでしょう。しかしそれが子どもに関わるようなら、人付き合いの見方を変えることです。
「人付き合いがめんどくさい」というなら「孤独の道」を行こう
古今東西のあらゆる成功者は「孤独の道」を歩んできました。人付き合いで自分を惑わされたくないという心構えのものだけが「孤独の道」を行けます。「孤独の道」を行けば、それもはるか遠方まで行けば、人付き合いから逃れられ、自分の心を惑わされず、自分の人生を生きることができるでしょう。
ネット上のつながりをすべて断つ
人付き合いをめんどくさいというなら、SNSがどれほど無益な営みであるかに気がつきます。LINEやTwitterやFacebookなど、いったいどれほどの時を、それらSNSに失ったのか。それほどまでにSNSと会話して楽しかったのか。ネット上のつながりをすべて断ち、断ちてなおつながっているところにこそ人生の有意義があります。
人付き合いの見方を変えて「めんどくさい」を滅する
人付き合いの見方を変えることにより、あなたの心にすくう「めんどくさい」を滅することができます。たとえば社交辞令においては、たとえ心では違をとなえていたとしても、善事を悪といい悪事を善といわなければなりません。だからそこに己の生き方を見つけることができます。
それにまた、この世の常の人々が生きるために必要なことは人付き合いをうまくすることです。だから人付き合いを訓練としてとらえるなら、めんどくさいというよりも、寧ろ、楽しいはずです。人付き合いの見方を変えられないようなら「孤独の道」を行くだけです!
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