上を向いて歩くと、それまでの悪い気分を良い気分に変えることができます。それはなぜかを考えると、一つは人工呼吸をするときと同じような姿勢となり気道を確保できるからです。空気の通り道を確保すると、体内のすみずみまでに酸素(栄養)がゆきわたり細胞が活性化します。
また、上を向いて歩くと気分を変えることができるもう一つの理由は、目先を変えて新鮮な景色をみることになるからです。下を向いて歩くなら、美人も美景もみることはありません。そこで目にするのは無機的な、生命の欠けた、死んだものです。
そして歩くことについては、医学の父ヒポクラテスが「歩くことは人間にとって最良の薬」といいのこしています。歩くことはおそらく、犬や猫や星がそれぞれのリズムで動いているように、人のリズムに適うことだからでしょう。犬や猫が悪い気分(無気力)にならないのは、自然のリズムにしたがっているからといえます。
さて、上を向いて歩くと気分を変えることができるのは「気道の確保」と「目先を変えて新鮮な景色をみる」という二つの理由をあげました。前者の理由にはロマンが欠けているので、これ以上を探求することはしません。そこで後者「目先を変える」という理由を、さらに探求してみたいと思います。
上を向いて目先を変えると気分を変えられる理由
私たちは美人をみると喜びます。そのわけは、私たちの身体が自然を求めるように美人を求めているからです。これこそが上を向いて歩くと気分を変えられる根本的な理由です。
上を向いて歩くと、自然がある
類は友を呼ぶもので、似たもの同士はくっつき合います。羊は羊を、豚は豚を、それぞれ求めるもので、身体は自分と似たものを、つまり同質的なものを求めます。一般に、美人とは平均の人のことです。だから美人をみると、美人から自分と同質的なものを感じとって、喜ぶのです。モナ・リザの絵がそれを描いたダ・ヴィンチの顔に似ているのは、だれもが理想は自分だからです。自然の美景をみて喜ぶのも、自然があまりにも人と似ているからで、そこから自分と同質的なものを感じとるからです。
再び、下を向いて歩くなら、そこで目にするのは無機的な、生命の欠けた、死んだものです。それは生きた人と同質的なものではありません。けれども、上を向いて歩くなら、常に生きた自然が目先に輝いています。
身体は、自然が好きで、同質的なものを求める
ところで身体が食べ物を求めるのは生きるためです。その生きるため以上のことを考えると、身体が食べ物を求めるのは、身体のなかのそれぞれの細胞が、その食べ物と同質的なものを感じとるからです。同質的なものと完璧に調和をしないなら、食べたものは消化され便となり廃棄されます。それでも飽きを知らず、何度も、くりかえして身体は、完璧な調和を求めて食べ物を求めるわけです。
目先を変えるとき、私たちはそれが探し求めていたものかと一瞬、その一瞬に希望をもちます。この一瞬の希望が喜びとなり、それが目先を変えると(上を向いて歩くと)、気分を変えることになるのです。
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