ある語を用いるときに、その語に組み合わせることができる語を連結語といいます。元気という語を用いるときには、「元気・だして」というように、中点(・)の後ろの語(だして)を元気の連結語といいます。ある語の意味を知ることによってのみ、その連結語をみつけ、新しく語句をつくることができます。いいかえるなら、連結語をみつけることができないというのは、ある語の意味を知らないということです。
さて、「無気力」という語は、だれもが用いる語でしょう。無気力という語の連結語を調べると、「無気力・の状態」、「無気力・な返事」、「無気力・を助長する」、「無気力・に陥る」などの連結語をみることができます。このように語と語との組み合わせをみると、前の語の性質を前提として後ろの語を組み合わせるために、前の語の意味により通ずることができます。
しかし、ここに注意するべきことは、既出の連結語というのは自分の頭で考えた語ではないということです。一介の文学者がうまい連結語を案出したとしても、その語に対するかれの見方と自分の見方とは別の方向から接しているようなもので、そのほかの連結語を用いるときに矛盾を生むからして、安直にみてはならないのです。
先の無気力の連結語をみると、無気力という語が形容詞的に用いられる連結語は数多く、無気力を改めるような連結語は寡なくあります。つまり、無気力という語を用いるなら、それを改めるよりも、むしろそれを助長する傾向があります。詳しくいうなら、ことばによって私たちの思考が、あるいはその方向性が規定されるようになる。
だから、ここに無気力を改める具体的な連結語をいくつか記しておきたいのです。これによって、無気力の実相をより鮮明化し、何をどうすれば無気力を改めることができるのかを容易に感取できるようになると思うからです。
以下、無気力を改める具体的な連結語を記します。
- 無気力を打開する
- 無気力を打破する
- 無気力を整理する
- 無気力を修正する
- 無気力を収める
- 無気力に刺激を与える
- 無気力に鞭を打つ。
単純に無気力というなら、まさに気力(活動の源泉となるもの)が無いため、その人は死んでいることになります。無気力とは、集中力が弱く、気力が多方面に分散していて、社会が定める気力の枠(学業、仕事、趣味などに没頭できる気力の一般の水準)を越えられないために、ーー社会のことに十分な気力を向けることはないために、ーー社会から無気力といわれているにすぎません。つまり、無気力というのは泥沼のような地帯をあらわすのであり、そのねばねばの沼の膜から抜け出すようなことが、無気力を「打開する」や「打破する」という連結語を案出させることになるのです。そしてまた、無気力とはまさに気力が多方面に分散している状態なので、それを「修正する・整理する」ということもできます。「無気力に鞭を打つ」というのは、森鴎外や堀辰雄も用いている表現です。そこから「無気力に刺激を与える」ということもできます。
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