人は「いつかやろう」といって未来を考えることができる動物です。だから何も今やらず、あせらずに、未来における良い潮時に物事を先延ばしてやることができます。このすばらしい力をこの世で授かったのに、未来を考え「いつかやる」のではなく「今やる」ほうが良いのはなぜか。いや、ほんとうに「今やる」ほうが良いのでしょうか?
「いつかやる」といって「今やらない」のはなぜか?
人の気力を潮の満干にたとえると、潮が満ちる時もあれば、潮が干く時もあります。月のように何か近くにあるようならそれに引っ張られ気力が満ちることになりますが、何も近くにないようなら気力は干くことになります。
人が「いつかやる」といって今やらないのは目星が近くにないような潮時で、あるいは闇雲に隠れた月を知らないだけです。
つまり勉強や掃除などその目的(メリット)が明らかであるようなら「いつかやる」のではなく「今やる」気力に満ちるわけです。
「いつかやる」で失うこと
人の気力を潮の満干にたとえましたが、人が海とちがうのは「人は道具をつくる動物」ということです。たとえ月が遠くあれ、海の潮とはちがい、人は宇宙船をつくって月に燃え進むことができます。
「いつかやる」とは、この道具をつくる力を手放して、気まぐれに身をゆだねるということです。だから結局、「いつかやる」ではいつまでも目的にたどり着くことができず、あっけなくも人生を終えてしまう。たまたま月の周期によって潮が満ちる時に「今やる」という気になる人は“けだもの”にちがいないでしょう。すなわち「いつかやる」で失うことは人生そのものです。
「今やる」で失うこと
人は道具をつくる動物です。しかしたとえ宇宙船をつくり目的の星に向かい進んだとしても、何らかの原因に巻き込まれ船がこなごなに砕け散ることがあります。友だちとけんか別れしてから今すぐに仲直りするのはこれに似ていて、二人の固い友情に溝深い亀裂をはしらせることになります。けんかや政治あるいは新製品の発表などと、ある物事をやるにおいては潮時を見計らうことが肝心なので、「今やる」で失うこともあります。
とはいえ日常生活におけるほとんどのこと(掃除や洗濯そして人生計画など)は「今やる」ことです。今やらないなら、やらないことで心を曇らせてしまい、心を曇らせながら日常生活をすることになります。
「今やる力」はつちかわれる
気力という潮の満干にかかわらず、掃除や洗濯など何事も今すぐにやるなら「今やる力」をつちかえます。たとえるなら、何事も果敢に挑戦していれば一つことに飛び込むにもためらわなくなるようなことです。
それだから「今やる」人はますますチャンスを得ることができ、反対に「いつかやる」という人はチャンスを失ってしまう。
運命はむごく、人生は儚い、明日の死を思うなら、一分も一秒も無駄にすることはできません。
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