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やる気は存在しない

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やる気とは何かを考えると、何かを欲するときに心の奥から生まれる追い風のようなものという考えに至ります。私たちはその追い風に乗って、あちこちを飛びまわり、それぞれの欲するもののにたどり着くことができます。何かを欲していなければやる気が出ることはありません。何かを欲することで、心の奥から追い風という身体からだを司っているやる気(のようなもの)を生み出すことができるのです。どうやら私たちの多くはやる気についての誤った考えをもっているようで、何かをやらないことを「やる気が出ないから」といって、まったく言い訳にならない言い訳をしています。何かをやらないならやる気が出ないのはあたりまえです!しかしここで伝えるべきことは「何かをやらないならやる気が出ない」ということではなく、そもそも「やる気は存在しない」ということです。

 

やる気は存在しない

何かを欲していない・・・・・・ときにはやる気は存在しません。やる気をあたかも存在するようにみなすことで、何かを欲しているときの心のあり様と、欲していないときの心のあり様とを比べてみてしまい、ふつう欲していないときには出ないやる気を、なぜないのかといぶかしむことになります。何かを欲しなければ、やる気にはならない、いや「何かを欲すること」と「やる気」とは分かたれず、そもそも「欲すること」と「やる気」とは同じことです。

やる気というものを手前勝手にあるかのように思うことによって、「欲すること」と「やる気」とを分けてしまい、何かをやらないのをやる気が出ないからとあたりまえのことをいって、それでいて何か心苦しさを覚えてしまうのです。

 

私たちのやっていることは、それが何であれ、欲していること

私たちがやっていることは、それが何であれ、欲していることです。今、私は文章を書いています。これも私が欲していることです。食べることも欲することですが、それはあまりにもかんたんに手に入ることなので、敢えて欲することはありません。何かをやらないのは、やる気が出ないからではなく、何かを欲しておらず、やらないことを欲しているからです。それでいて、例の思いこみによって、(勉強や仕事など)何かをやらないことに心が苦しくなる。そうして身体からだを司る心はどんどん疲れて弱くなり、つぎには「自分はなんてだらしないやつだろう」と誤って思いこんでしまう。自分はだらしないやつではないけれども、心の中で思うことは外にあらわれ、それが現実的となり、だらしない自分になるわけです。そうしてまた、何かを欲していないときに、その何かをやろうにもやらずにいて、やる気が出ないということに心苦しくなり「自分はだらしないやつだ」とネガティブに思いこんでしまう……


ここまでをまとめると、

  1. 「やる気」と「欲すること」とは同じこと
  2. やる気は存在しない
  3. 食べることも寝ることも、やっていることは何であれ欲していること
  4. やらないことは欲していないことを欲している
  5. 心の中で思うことは外に現れる(思考は現実的となる)
  6. やる気を存在すると思うと、何かを欲していないときに、それをやろうにもやらずにいて、やる気が出ないということに心苦しくなる

となり、一言で「やる気は存在しない」または「やる気を存在すると思ってはならない」とまとめることができます。

 

食べることを欲するのに、学ぶことを欲しないのはなぜか?

先ほど「やる気は存在しない」と書きました。それでは「なぜ学ぶことに、やる気が出ないのか?」と、その人数は少ないでしょうが、いぶかしんでいる人もいるかもしれません。それは単に、学ぶことのうまみを分かっていないからで、また、それを生活に害なしと思うからです。やる気が出ない(欲しない)のは、それをするうまみを分かっていないからです。

学校で「ギリシャ語を学びなさい」といわれたら、生活に害なしと思うにちがいありません。けれども、文を書くなら、できるだけ語源を遡ってみて書いたほうがよく、そうでなければあまり相手にされず読んでもらえません。文を書くことは仕事の基本であり、文を疎かに書くなら、少なからず生活に害ありとなります。そうして「ことばの語源を知り、仕事の基本を正す」という考えに至ると、ギリシャ語を学ぶうまみを分かったといえます。これがやる気(欲すること)の本質です。

だれもまずいと思っているものを好んで食べようとは思いません。私はおいしいと思ってブロッコリーを食べることはありませんが、その栄養のうまみを思うと、好んでブロッコリーを食べるようになります。


くり返しになるのですが、学ぶことを欲しないのは(やる気にならないのは)、それをするうまみを分かっていないからです。それをするうまみを分かるようになれば、それがそのままやる気(欲すること)になります。このうまみを分かるように努めることを「モチベーション・コントロール」と、または広くとらえて「モチベーション・マネジメント」と私はよびます。おそらくこれは、どの分野であろうとも成功に欠かせない必要な力であり、なおかつ私たちの頭の良さを決める真の力でありましょう。

この記事から「やる気と欲することとは同じこと」と「やる気は存在しない」ということを覚えてくださるなら、もうすでにモチベーション・コントロールのすべをほぼ身につけることができたということができます。

 

やる気について、より詳しく知るならこちらを:やる気とは何か?やる気の本質について

 

コメント

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