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モチベーションの管理について

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モチベーションは意欲や熱意などに訳されることばです。パッション(情熱・情慾)とは異なり、モチベーションは冷静知的な燃ゆる心をあらわすようなことばです。だから恋愛や飲食にというよりも、スポーツや創作において用いることばといえます。

一人一人の人生にはモチベーションの管理が必要で、これを怠ると、情慾の海に身投げしたり、燃ゆる心が鎮火したりするようなことになってしまいます。それは人生というよりも畜生であり、ただ呼吸してこの世に在るということになる。

そのモチベーションの管理法とは、その遠近を問わずして目標を定めることです。目標を定めることによって人間はそのほかの動物とは異なる動きをみせるようになります。そしてまた、その目標を定めるのは自分でなければなりません。というのも、他人によって、他人の思惑によって目標を定められると、モチベーションからその構成要素である知的性質が除かれて、手なづけられたモルモットのように、人生というよりも畜生の道を行くことになるからです。

資格の取得あるいは入学試験の合格など、このような目標は、他人の思惑によるものであり、自分で目標を定めているように思われるけれども実はそうではありません。それは目標を定めたのではなく定められたのであり、目標を用意されたのであり、他人によってつくられた外的事物にもっぱら依存し、自分という主体性が刈り取られています。その証拠には、その資格が世の中でもてはやされなくなると、その者はまた別の資格を取得するようになる。

このような者は内から自分を固定する主体性をもたないので、外的事物に自分が使い回されて、その後のかれの人生に残るものといえば疲労感だけとなりましょう。

つまり、自分で定めず他人によって定められた目標は、元来意味がないものであり、何らモチベーションの管理を必要とせず、そもそもそれをモチベーションというには及ばず、それは単に他人に認められんがためのパッションにすぎないということです。これについてはモチーフ(Motif)が、モチベーションの語源であることから理解することもできます。

モチーフは、モチベーションと同様に、スポーツや創作において用いられることばです。この二つに共通することは、自分の人生全体を一つの対象に捧げ、そのほかには何をも必要としないということです。

然るにモチベーションの管理は、スポーツ選手やアーティスト、あるいは経営者など独立した人生を行く人、すなわち自由人にとって必要なものということができます。

自由人のなかでもモチベーションの管理を最も必要とするのはアーティストです。なぜならアーティストの目標は前人未到の創造であり、それには然るべき時を待たなければならないからです。しかもその目標はことばにあらわすことも数値化することもできず、曖昧でぼやけていて、だから目標に近づいているのかさえわからない。つまり不安に耐えなければならない苦しい状態がつづくのです。

認識能力の卓越した人間は、ある面からみると、目的意識に縛られた畜生です。人生で踊らない時はなく、眠りたくても眠られず、自由人たちは踊らざるをえない。

人生全体を一つの対象に捧げる自由人、その人たちに固有の波の激しい不安定な意欲をいかにして安定させられるのか、そのことをモチベーションの管理といいます。

 

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