合格を期待した試験に落ちたり、恋人にふられたりと、何か期待したことを裏切られたときの感じを失意といいます。ただぼう然として抜け殻のようになり、何も手につけられなくなるのが失意に陥っているしるしです。もし失意に陥ったときに、いったいどうして立て直すことができるのか。失意を回復する方法は、失意の見方を変えることです。失意の見方を変えることによって、失意に陥っている今の苦しい状態を、むしろ喜びに変えることができます。
そもそも失意とは何か?
先に述べたように失意とは、そのまま意い(想っていること・期待したこと)を失うことを意味し、恋人を失ったり、約束を裏切られたりするなど、ふくらませたその想いが大きければ大きいほど失ったときに心を大きく痛めるような意味のことばです。
〈意〉という字は「ことばにあらわせない」を示すものなので、持ち物を失うというよりは出来事をなくすような意味で用いたほうがいいかもしれません。
失意を回復するための方法
あなたは期待を裏切られて失意に陥っているのかもしれません。期待して胸を大きくふくらませ、しかし得られなかったときの破れる音というのは、凄まじく痛々しいことです。「はじめから期待しなければよかった……」といっても人なんだから何かを期待せずにはいられません!眠れる喜びと、踊れる哀しみに情を揺らし動かさなければ、その人生は平たいものとなり、つまりません。つまるところ失意とは豊かな人生に欠かせない出来事なのです。あとからふり返ってみると、今感じている失意に感謝をしていることでしょう。このように失意を回復する方法は失意の見方を変えることだけです。ではどういう見方があるのか?
失意は、人を強くする
失意を回復するたびに人は強くなります。期待を裏切られ失意に陥ったときに、じぶんで気を奮い起こし、立ち直るたびに人は強くなります。
人は過酷な環境に耐え抜かなければ身体を強く美しくすることはできません。それは筋トレをするのと同じようなことで、失意を回復するたびに身体は強く美しくなってゆくのです。
失意は、挑戦したしるし
「失意に陥る」をいいかえるなら、喜びを求めて「挑戦した」ということです。それは豊かな人生の確固とした土台となるため、むしろ喜ばしい出来事なのです。このように失意の見方をよい方に変えることができれば、どの分野で何をしようと、あなたは成功します。
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失意に陥るほど人生は豊かになっている
豊かな人生とはいったい何かを考えると、それはやはり情の振れ幅で、眠れる喜びと踊れる哀しみとの並ただならぬ振れ幅が人生の豊かさを決めるのだといえます。失意に陥らなければ、人生はまったく平凡なものです。失意に陥ることで人生は豊かなものになっている、それを思うこと。
失意がなければ、喜びもない
苦しみを感じなければ喜びを感じることもありません。期待に胸をふくらませることも、何かを待たなければならない苦しみを感じています。そのふくらみをゆったりと抜いてくれることがきもちいいのであって、そのあとに残る物事に喜びを見出すのです。
だから失意に陥るたびに、並の人には感じられない最上級の喜びを、あなたは感じられるようになります。
私の失意の経験談【まとめ】
何か期待したことを裏切られたときの感じを失意といいました。ただぼう然として抜け殻のようになり、何も手をつけられなくなっているなら失意に陥っています。
恋においては、このごろ私は、とある売場の女性に、恋ではないけれどもそれに似た思いを煩わせていました。その女性の仕事ぶり、透きとおるやさしい声音とまめまめしい手つきとが、私を引きつけました。彼女はマスクをしているので、私は、同い年くらいなのかなぁと思い、いろいろな思いをみるみるふくらませます。しかし後日、彼女と話をしてみたら人妻ということがわかったので、その思いはこっぱみじんに、私は失意に陥って、小躍りをしました。
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