感動を与える接客とはいったい何をすればできるのかを考えると、次のことがあてはまるのではないでしょうか。「〈どう接客をするかを考える〉のではなく〈接客の考え方を身体の奥底まで染み込ませる〉」ということです。上面の接客では感動を与えることはないでしょう。身体の奥底から出てくる客を思いやる本物のきもちこそが、感動を生み出す源となるのです!私自身も目のあたりにしたことのあるその接客の考え方というのを本文に述べます。
だれもが接客をします!
そもそも接客とは、接客という字の形から思い浮かぶように、妾のようになり身の上の人(客)をもてなすことです。どのように話をし、また身を振舞うかによって、どれほど客の喜びを天まで昇らせることができるのか、それを接客というのです。
感動を与える接客とは何か?
たいてい人は、何かを望んで事を行います。そして事を行う前には、それをして得られる見返りをあらかじめ決めています。客があらかじめ決めた見返りの線を、はるかに超えるような接客が「感動を与える接客」です。客に「こんなにもしてもらっていいの?」と思ってもらえるような接客が、感動を与える接客なのです!
コンビニにおける感動を与える接客
コンビニで買い物をするとします。そこで真心のこもった接客を受けたら、それは「感動を与える接客」だといえるでしょう。ほとんどの人は、コンビニというありふれた店から、真心のこもった接客を受けられると思っていません。コンビニの接客なんてこんなものだとあらかじめ決めており、それを踏まえた上で、そのコンビニで買い物をします。
感動を与える接客をできる人の考え方
感動を与える接客をできる人の考え方とは、ひとつは「この人を驚かせたい!」というもので、いまひとつは「心をみがきたい!」というものです。この二つの考え方を身体の奥底まで染みこませることができれば、どのような道に進んでも成功することができる、そう私は思っています!
「この人を驚かせたい!」という考え方
店に来てくれる客は、いつも鼻歌まじりの上機嫌ということはなく、いらいらして不機嫌ということもあります。上機嫌にみえる客には、かれが上機嫌ということで私たちもきもち嬉しくなるので、こまやかで温かい丁寧な接客をします。しかしいらいらして不機嫌にみえる客には、かれが不機嫌ということで私たちもきもち怒りっぽくなり、そっけない冷たい雑な接客をします。
ここに「感動を与える接客」の考え方があります。
客のつもりでは「俺はいらいらしているから温かい接客を受けられないだろうな」と思っているところ、接客をする者は「この人を驚かせたい!」という考え方をもっているため、寧ろ、こまやかで温かい丁寧な接客をするのです。すると客は、「どうして俺のようなとるにたらない人間にすばらしい接客をしてくれるのだろう!」と感動するのです。
「心をみがきたい!」という考え方
スマートフォンをながめながら会計を済ませる客がいます。いったいだれがこの客に丁寧な接客をしたくなるでしょうか?
「嫌いな人には冷たく接する」それが世の常でしょう。「感動を与える接客」とは、その世の常にあらがって、嫌いな人にも好きな人と同じように接することで生まれる雷雨の日の収穫にひとしい衝撃をもたらすことでもあります。嫌いな人にも好きな人と同じように接することは、非常に力強い心構えをもっていなければ、できることではありません。世の常の考え方とはまるでちがう考え方をしていれば、それを目のあたりにした客は驚かずにはいられないでしょう!
人に感動を与えると、人生は豊かなものになる
ここに述べたことをまとめますと、客があらかじめ決めた見返りの線をはるかに超える、客に「こんなにもしてもらっていいの?」と思ってもらえるような接客が「感動を与える接客」でした。感動を与える接客をするためには〈接客の考え方を身体の奥底まで染み込ませる〉ことが欠かせません。その考え方というのは「(嫌いな人でも)この人を驚かせたい!」「心をみがきたい!」というものです。世の常の考え方とはまるでちがう考え方を目のあたりにした客は感動せずにはいられないでしょう!人に感動を与えると、自分の人生は豊かになるものだと私は確信しています。
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