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モチベーション・マネジメント部について

 

モチベーション・マネジメント部を読んでくださり、ありがとうございます。

ここは、このブログについて、モチベーション・マネジメント部とは何か、その存在意義とは何か、これは社会に必要なブログなのか、そのねらいとは何かをお伝えするページです。このブログをつづけるためのモチベーションとなることを記していますので、時間があれば読んでみてください。

 

モチベーション・マネジメント部とは?

モチベーション・マネジメント部は、ある目的に向けて「じぶんを動機づけること」や「じぶんの意欲を維持・管理するすべ」について述べあらわすブログです。できるだけ古典による、くり返して読める、また、読む人が活き生きとなるブログを心がけています!

 

だれに向けてブログを書いているのか?

だれがこのブログを読んでくれるのか、つまり読者(顧客)はだれであるのか?

社会に働くすべての人に向けてブログを書いていますが、とりわけ、

  • やりきれない今を変えたい人

に向けてブログを書いています。

 

モチベーション・マネジメント部の存在意義とは?

何かの存在意義を明らかにするわけは、このブログを書くという仕事に責任をもつためです。仕事に責任をもつことによって、その仕事をつづける意欲を維持することができます。じぶんの仕事が社会のどこに生きているのかを考えることだけでも、仕事をさらに楽しむことができるでしょう。

モチベーション・マネジメント部の存在意義というのは、今の社会において、いかにして好きなことにだけではなく、ほかのことにも(社会的に)意欲を注ぐことができるのか、そしてその意欲を維持・管理できるのかということから来ています。

この社会という生命は、私たちにおきてを要請しています。私たち人は何をするのも自由なのかもしれませんけれども、社会にあっては、私たちの自由な動きをすべて認められることはありません。それは犯罪があることでも明らかです。

社会には、社会みずからが(人のように)よく生きるためのおきてがあります。これは社会における常識コモンセンスや原則であり、忍耐強さや礼儀正しさなど、社会が私たちに求めていることです。

このブログの著者はまだ感じやすい庶民で、その庶民の感覚からして、今のこの社会ほど私たちにおきてを求める社会はないように感じます。どこでもお店に行って買い物をすると、その接客にさびしさを感じます。あのちょっと怠そうな感じや、目の前のことをみない感じ、真摯さに欠けた感じ、そして無気力など、そこで何か今の社会というものからは、外はきらびやかに装うているけれども、その内は重篤じゅうとくをかかえ勢い弱りつつあるさまを感じられるのです。

ここにモチベーション・マネジメント部の存在意義があります。

この病をかかえた弱々しい社会を活き生きとさせること、それぞれの人が社会的に勢いよく意欲を注ぐこと、そしてその意欲を維持・管理するすべを社会が私たちに求めている、ここにこのブログの存在意義があります。

社会がよく生きるために私たちは社会のおきてにより通じる必要があります。古くより孔子やソクラテスなどの偉人の教えが、こんにちまで受け継がれているわけは、社会がよく生きるためにはそれが必要なことだからでしょう。こんにちないがしろにされるその姿勢をあらためんと、このブログが、何か神がかりな力に導かれて、あらわれたのです。

私は偽善者かもしれませんが、独善者ではないでしょう。

 

モチベーション・マネジメント部のねらい

このブログを読む人が活き生きとなること。活き生きとなったそれぞれの人が、それぞれの道を勢いよく進むこと。これにより総じて社会にはさまざまな発見と創作とが凄まじい勢いで生み出されるようになります。なおかつ社会的にも意欲を注ぎ、社会のおきてによく通じ、人格の気高さに惹かれること、これがモチベーション・マネジメント部のねらいです。

そして何より、もっとも声高に、もっとも声を大きくして言えることは、人に活き生きとなってもらうよう働きかけると、じぶんが活き生きとなる、ということです。人を動機づけると、じぶんが動機づけられます。どこからともなく身体からだが気力にみなぎるようになります。私がまさにそうなるのです。

 

ここまでいろいろなことを書いてきましたが、このページで伝えるべきことは「読む人が活き生きとなるブログ」ということであり、そのほかの文はこれを引き立てる飾りにすぎません。じぶんの意欲を維持・管理するすべモチベーション・マネジメントとして、このブログが今を変える力となります。

 

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